アスペルガー症候群の人は考え方が変わっているとよく聞きますが、実は変わっている部分を聞いてもそれが何故変わっているのか分かってない事が多いんですよね~(汗)
自分の考え方がおかしいと言われて直ぐに納得出来る人はいないと思いますが、それはアスペルガーでも自閉症でもadhdでも誰でも同じ事。
実は昨日、晩ご飯を食べた後に夫と父の事で話していたのですが・・・(父は何度も同じ話を繰り返す人でした)すると
夫「すごいよな、人が話したい事でも聞きたくなかったら即答で 「ソレ聞いた」 って言えるのが」
私「だって聞きたくない話を聞く労力も無駄だし、一生懸命話す労力も無駄でしょ?」
夫「普通はそれでも話したい思いを受け入れて嫌でも聞くんだよ」
私「お互いにとって無駄な時間にしかならないのに不必要だよね」
こんな会話が続きました(汗)
あなたは夫派?それとも私派?(笑)
聞きたくない話を聞く事ってとても辛い事だと思うのです。それと同じで、話す方も一生懸命考えながら話すために労力を使うと思うのですが、この双方の労力って無駄なように感じてしまうんですよね~
聞きたい話であれば喜んで聞くのですが、どうもお互いの思いが平行と言うか何と言うか・・・
普通はそんな話でも我慢して聞くなら聞かなければいいのに!と思うところが障害なんでしょうね、きっと。
父との会話はいつも同じ話ばかりだったので仕方がないでしょ?という結末で終わるはずだった夫とのこの会話。しかし実は普段から私の会話はこんな感じらしいのです(汗)
説明されてもどこが?かは分からないのですが、それが冷たく感じる要因の一つになっているんですって!!ちょっとびっくり(笑)
考え方が変わっていると言われる部分は沢山あるのですが、多分基本が○か×みたいな感じでしか物事を判断できないからなのでしょう。
一般的にという言葉や普通はという言葉は当然理解しているつもりです。しかしこれらに当てはまらない自分なりの常識があるのは確か。その常識を当たり前だと思って行動するので変わっているように見えるのかもしれません。
アスペルガー女性の私にとって変わっている部分がどこかを自分で見つける事は出来ません。そのため時々夫に確認するのですが
私「私最近アスペルガーじゃないかもって思うんだよね」
夫「は??いやいや、どこからどう見てもアスペルガーだけど(笑)」
なんて言われると、考え方が変わっている、独自の概念があると思われているんですかね(汗)
自分ではかなり正直者で嘘や偽りのない人間だと思っているのですが、その正直さが問題なのかもしれません。
適当に物事を流す事が出来ず、一つ気になり始めると針の穴のような細かなところまで探し、何としてでも答えを導き出します。
中途半端が大嫌いなのも、適当にやり過ごす事が出来ないのも障害の一部分なのであれば、皆はどんな考え方をしているのかが知りたい!!と思っても結局は平行線の話になってしまうのかもしれませんね。
こだわりの強さが弊害になる場合も多々ありますが、なかなかこの壁を壊す事は難しい。これでも、もう少し柔軟性があればいいのにと思う事は少なくないんですよ~